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近藤史恵

私が彼女の本を最初に読んだのは数年前「タルト・タタンの夢」でした。
ビストロを舞台にした、心あたたまる短篇集で、読後、タルト・タタンという言葉が頭に残り、
りんごの季節、タルト・タタン風のケーキを何度か焼いたのを思い出します。

自転車競技のオリンピック観戦が楽しみです!

その後、このビストロ・パ・マル物語の続編である「ヴァン・ショーをあなたに」を読み、近藤史恵という作家のイメージを、自分なりに作っていたのですが、今回裏切られました。

それは、自転車の物語、ロードレースの世界を描いた「サクリファイス」「エデン」「サヴァイヴ」の
シリーズを読んだからです。
団体競技であるサイクルロードレースの試合は、チーム6~9人でエントリーします。
但し、エースは一人、その他は全てアシストであり、チームの目標はエースの総合優勝のみ。
アシストはエースに良いタイムをださせるため、徹底して補佐役に徹します。
このシリーズは、エースとアシストという特異で非情な世界で繰り広げられる人間模様を
サスペンス風に味付けし、興味深く、面白く、シリアスに描いています。
また、ロードレースの複雑なルールや、頭脳戦競技といわれるレースでの駆け引きやテクニック、
そして競技の展開を、素人にも分り易く、巧に描きます。
読み手はグイグイとロードレースの世界に引き込まれ、未知であった自転車競技の世界に
魅了されてしまいます。
彼女はロードレースファンであっても、ロードバイクに乗ったことも、ロードレースをリアル観戦した
こともないのに、これらの作品を書いたようです。彼女の底知れぬ力量を感じさせます。
「サクリファイス」は自転車野郎はもちろん、自転車関係者の中でも大きな話題を呼び、
大藪春彦賞も受賞しました。ちなみに、サクリファイスとは犠牲。
自分の勝利は求めず、自分の順位を下げてでも、エースの勝利のために尽力するアシスト、
サイクルロードレースとはそんな特異で珍しい団体競技だそうです。

※ 近藤史恵さんはサスペンスを切り口に、他にも沢山のシリーズものを書いています。
  いつの間にかここ数日で7冊程読んでしまいました。

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南 直哉(ミナミ ジキサイ)

雨が続く折、外にも出られず、先週から曹洞宗の僧侶 南 直哉氏の著書「日常生活の中の禅」の
内容をまとめています。

福井県霊泉寺住職、青森県恐山菩提寺院代

難しい!私の頭では難しい!
けれど読み進んでいくうちに本来の仏教(原始仏教)や曹洞宗の禅の考え方とは、
こういうものだったのか!と何となく、気分として、少しだけ、わかるような………..。
そんな訳で図表にまとめようと、この一週間、悪戦苦闘しています。

南さんの経歴が面白い、早稲田大学第一文学部卒業後に大手百貨店(多分西武)で勤務するも、1984年曹洞宗大本山永平寺において出家得度、20年間の修行生活を送る。
別の著書「賭ける 仏教」(宮崎哲哉氏との対話)にも書かれていますが、通常永平寺での修行僧は
3年位の在籍で自分の寺へ帰っていく人が多く、またお寺の出身者でなく帰るところのない人
(ごく少数らしい)は年数が経つと関係のお寺を紹介して頂いて出ていくという。
だが、この人は20年も永平寺に居着いて、道元禅師と釈尊(原始仏教)の教えを一心に、
論理的且つ系統的に、はたまた実践的に学ばれて、沢山の著書を出されています。
こんなに頭がよくて、理屈っぽくて、早口で、鋭くて、明晰な人が20年も寺に居座っていたら、
上司や同僚、下の人達は、いくら禅僧とはいえ、さぞ大変だったろうなぁ….と、
2冊の著書を読ましてもらって、思いました。 でも面白い。

空海の風景

随分昔に買った本、司馬遼太郎の「空海の風景(上・下)」を再度読みました。
今回の感想は初回と異なり、非常に面白い本だった!の一言です。

空海 上
     空海 下
それなりに年齢を重ね、仏教全般の知識も増えていた為か、この本は非常にわかりやすい
仏教入門書として読めました。
以下、自己の覚書と興味ある部分を要約し書き留めます。


奈良仏教に見られるような解脱だけをもって修行の目的とする教えにやりきれなさを感じた空海は、華厳経、大日経を読み下す。
「華厳経」においては、万物は相互にその自己の中に一切の他者を含み、摂りつくし、相互に無限に
関係しあい、円融無礙に旋回しあっていると説かれている。
しかもこのように宇宙のすべての存在とその動きは、毘盧遮那仏の悟りの表現であり内容であるとし、あと一歩進めれば純粋密教における大日如来の存在とそれによる宇宙把握になる。

「大日経」では、毘盧遮那仏は華厳のそれと本質は同じながら、更により一層宇宙に偏在しきってゆく雄渾な機能として登場し、人間に対し単に宇宙の塵であることから脱して、法によって即身成仏する可能性も開かれると説く。
同時に、人間が大日如来の応身としての諸仏、諸菩薩と交感する時、彼らのもつ力を借用しうるとまで力強く説いている。
空海はこの、即身成仏の可能性と諸仏、諸菩薩と交感してそこから利益(現世利益)をひきだすという法を求めて唐を目指す。
密教は半ば教理で構築されているが、他の半ばは膨大な方法の集積であるために、こればかりは
手をとって伝授されることが必要であった。
空海はこれがために入唐を決意した。
唐の玄宗皇帝は道教に深く肩入れし、不空三蔵の密教呪術を好んだという。
日本においても桓武天皇は最澄が持ち帰った天台という顕教より密教に興味が先行している。為政者というのは権力との関係で現世利益を深く求めたのであろうか。

密教には2つの思想(智〈精神の原理〉を説く「金鋼頂経系」、理〈物理の原理〉を説く「大日経系(胎蔵界)」)があり、インドにおいて別々に発生し、発展した。
その二つを一人格に収めた人物はインドにもおらず、インドから唐に渡るについても、それぞれの
系統が恣意的に長安に来て、不空三蔵といえども金鋼頂経系を知るのみであった。
恵果は大日経系のインドの僧善無異の弟子玄超から大日経系を承けていたから、両系の相伝者として密教世界ではただ一人の人であった。
司馬遼太郎は、金鋼頂経系、大日経系(胎蔵界)については詳しく論説していない。

「恵果」は両系(両部)は一つのものと認識していたが、語学の才に欠け、精緻な文章で論理を構成する能力に限界があり、渡来した空海にその仕事を任せる。
これにより、インドにおいて別々に発生した密教思想は中国僧恵果によって「両部不二」の着想をもち、空海により日本において論理化、体系化された。
奇跡的に時間と空間を結ぶ点の世界が展開し、空海はその僅かな点の世界で人類史に大きな財産を残した。これを宇宙の意志というのでしょうか。

空海が一概に「顕教」として卑く見ているこの膨大な体系は、行の面でいえば現象に接してその本質を見ぬく--止観--によって自らを透明にしてゆくという法であった。
最澄は入唐以前からこの天台宗こそ釈迦没後の仏教教学の飛躍発展した最上のものと信じ、それを最澄なりに整備することに自分の全てを賭けていた。
最澄は天台宗の確立という大事業を志し、唐からもたらした天台の体系の中に、新たに禅の部門、律の部門を入れ、同列に密教の部門を入れようとして、インドにも唐にもない大乗仏教の道場を叡山に確立しようとしていた。

そんな最澄が空海から密教の教えを乞い、借経を重ね、書物によって密教を知ろうとした。
そして、真言密教の奥義「理趣釈経」の借用を申し出たが、空海は「文章修行ではなく実践修行によって得られる」との見解を示して拒絶、また最澄が空海に預けた弟子秦範が空海の下に残った(秦範の事件)といこともあり、以後2人の交流は途絶えた。
最澄という人は純粋で温厚だったというが、目的によっては非常にあつかましい人であったのでしょうか。また空海がある程度寛容であったとか。

秦範の事件以降、最澄は閉鎖的になり、自分の教団の壁を高くし、弟子の他宗に流れる事をとどめる諸規則、諸制度を作り、その意味で叡山そのものを城郭化した。
最澄や空海が学んだ中国の仏教も奈良仏教も、諸宗が存在するとはいえ宗とはあくまで体系であり、互いに宗門の壁を設けることが殆ど無く、僧たちは自由に他宗と往来している。
それに対し、日本の宗派が他宗派に対してそれぞれの門戸を鎖し、僧の流出を防ぐという制度を摂るに至るのはこの事件以降である。
最澄は唐から持ち帰った天台宗や越州の密教を、多くは整理しきれず、唐から請来した諸思想を完璧な一個の体型にすることなく、その間奈良仏教との抗争などで忙殺され、未整理であることを憂いつつ死んでしまった。
その為、天台密教は最澄が死んでから成立し、また、鎌倉の新興仏教の祖師たちが、最澄の持ち帰ったものを部分的に独立させ、部分においては深めた。
最澄が未整理であった故に円珍等の弟子が天台の体系を作り上げ、また比叡山で修行をした人々により、鎌倉時代の仏教は非常に面白くなってくる。これも最澄の成果でしょう。

晩年、空海は東大寺真言院において「法華教」を講じ、「法華経釈」という解釈論まで書き下ろしている。察するに「いまで顕教とか法華経などくだらないといい続けてきたが、少し修正しなければならないかもしれない、顕教もまた重要であり、法華経は悪くないものだ」という気分が、このこの著述に溜息のように漏れてくるくるように思われる。
また、弟子たちに対し、「顕教を外教として学べ」とまでいっている。
空海の心境の変化が何を意図しているのか......非常に興味深い。

今野敏「転迷(隠蔽捜査4)」

お父さん!早く読まないとこの本を待っている人が沢山いるのよ!の一言で、
今野敏の「転迷(隠蔽捜査4)」を昨夜布団の中で読み終えました。
この本も妻が予約したもので我が家は共に今野敏ファンなのです。

転迷

先回、今野敏の「化合」が頂けない作品であるとの感想を書きましたが、
その後の「任侠病院」もイマイチ、最近の作品は以前の様な人物描写、
キャラの掘り下げ、意識の変化、内面の声がサイレントになりました。
一体、今野敏は何処へ逝ってしまったのでしょうか!!!

ところが、なんと、「転迷(隠蔽捜査4)」で彼は少しだけ息を吹き返しています。
人物描写に手抜きはあっても「隠蔽捜査」「果断(隠蔽捜査2)」「疑心(隠蔽捜査3)」
「初陣(隠蔽捜査3.5)」と続くシリーズで主人公、竜崎という人物を余りにも
興味深げに描き上げた為、周辺人物(例えば伊丹)との淡々とした会話は聞いていて小気味良く、
ストレートで的を得て、今回も充分楽しませて頂きました。
が、もう少しキャラを丁寧に綴って欲しいと思います。

作家というものは自分が書きたいという衝動と突き上げから離れ、
単なる義務感での創作活動に入リ込むと、
読み手が期待するサプライズや感動から少しづつ距離が開いていくのでしょうか。

今野 敏 「化合」

妻が図書館に予約してから、長い長い時間の果てに我が家に到着しました。
人気作家今野敏の本は図書館では大行列が出来ます。

化合  
  筋立ては
  警察の捜査過程で冤罪が出来上がる実例を詳細に
  描いています。
  刑事と検事との確執や軋轢、現場捜査の刑事間の
  確執と信頼、 鑑識の科学性とプライド。
  警察小説を書かせると超一級の今野敏の作品です。

  しかし、今回も少し期待を裏切られました。最近彼の
  不振が続きます。
  今回は画像のみです

本来の今野敏は登場人物個々のキャラクターを細かく巧くみに描く作家です。
読み進むうちに小説空間が奇妙に膨らみ、重厚感と面白み、読む側にゾクッとするような快感を与えてくれました。
しかし、今回の作品にもそれがみられません。
他の作家がこの本を書いたのであれば、テーマも素材の扱いもよく、こんなものでしょう!という評価になるのでしょう。

こちらの期待し過ぎか、今野敏にしては薄ぺらさが残る作品でした。

Appendix

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60歳を越えてFlash動画に興味を持ち、好きな読書や映画の感想と
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