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展望台のベンチ作り

善峯寺が見える展望台にベンチを置こう!と話が決まり、
少し前(3/26)、NPO活動の仲間と展望台へベンチ作りの作業に行きました。

展望台のベンチ作り

何でも得意な会員のSさんが、自宅の作業場で竹を加工し、現地で組立てれば直ぐに完成という
ベンチキットをこの日のために用意してくれていました。便利な人です。
西山古道の善峯寺ポイントからベンチ用の竹材と道具を、皆で手分けして展望台まで運びこむのがこの日のメインの仕事。
この日は7人の有志が集まりました。

展望台で設置場所を決め、組立です。
Sさんのキットが最適に出来上がっているため、竹材をボルト、ナットで締め込むだけで完成。
組立作業中、3月末というのにチラチラと粉雪が降って来ました。

見事に完成。
完成の記念写真をとって、温かいコーヒーを沸かし、皆で拍手をするも大幅に時間が余りました。
そこで周辺の道を塞いでいる太い雑木や細い柴、落ち葉など、展望台というには少し美観を損ねる
自然の廃材を片付けることにしました。
これも短時間で終了、多人数の作業で、あたりはすっかり綺麗になりました。

私たちのNPOの会員は出来るだけ山道を綺麗にして、里山を楽しんで下さる皆さんの
お役に立てればと、みんなで楽しみながら頑張っています。
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外国人が尺八の本曲に魅せられる理由(3)

横山勝也が「本曲」について語ります。
本曲の本とは、解説的にいうならば「外曲(がいきょく)」の「外」に対する名称である。
琴、三絃などほかの楽器と演奏する場合の「外曲」に対し、尺八のみを持って吹奏する尺八本来の作曲者の不明な尺八固有の曲が「本曲」である。
「本曲」の無名性の逆説的考察に、名を大切にしたが故にあえて無名であったのか、
名を残す必要も無い程、自然に帰一したかを思うことができる。


「手向」は伊勢地方に伝わる曲で、海童先生(横山勝也の師匠)は手向山のたたずまいなども思い描かれてか「大和路ののどやかしさや床しさが薫りたつような曲だ」といったことをおっしゃり、
いかにも飄々として吹かれていた。
おそらくその解釈のほうが正しいとは思うのだけど、
私自身は若い頃からこの曲をなぜかエレジー(恋歌)と感じ、レクエイム(鎮魂曲)として吹かずにはいられないような気持ちをかたくなまでに抱き続けてきた。
その気持ちは未だに変わらない。曲によってはそのように、曲想や曲調をあくまで主観的にとらえることによってはじめて納得して吹けるというケースも少なくない。
私はむしろそれで良いのだと考えている。

あらためて痛感させられるのはのどの曲(本曲)もみな結局は人間の心、
人間の魂の産物だということである。
どの曲にも切実きわまる訴えの心情が吐露されており、また純真きわまる希いや祈りの真情がこめられていたり、あるいは伝統的な民族文化への郷愁のような深い情感が溢れている。
つまり、そこから限りなく人間的な本音の魅力が美しい音色となって流露されることになるのだろう。
しかも、この道の先人たちによって「音楽+信仰+哲学」として求められてきた尺八楽は、
長い歳月の間に、音楽的にも信仰的にも哲学的にも磨きぬかれ、研ぎ澄まされ、地味ではあるけれど揺るぎない存在感をかたちづくってきた。
「本曲」から共通して充足した生命感を受けるのは、
そうした確固たる存在感に根ざしているからにちがいない。(敬称略)

上記の内容は、横山勝也著作「尺八楽の魅力」からの抜粋が多く、内容も少し長くなりましたが、
何となく、外国人が尺八の「本曲」に魅せられる理由が、おわかり頂けたのではないかと思います。
いかがでしょう。

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外国人が尺八の本曲に魅せられる理由(2)

小沢征爾は「ノヴェンバー・ステップス」の演奏時の模様を語ります。


「演奏が始まると、はじめ好奇心で何となくざわめいていた会場が、音楽の真実さ、強さ、美しさに引っぱられて、みるまにシーンとしちまうのが感じられる。
指揮者としてはあまり活躍するところがない曲なのに、どうしてか、エネルギーをたくさん使わねばならん曲だわい、とも思う。
ひとつ、新発見をした。
ふつう音学家は、興奮するとテンポが早めになるものなのに、純日本音楽に生きるこの二人は、熱中してくればくるほど、ひとつひとつの音、あるいはひとつひとつの「間」に心を込めて吹き、弾きこむので、テンポが遅くなる。
そんな経験はいままでになかったから、これじゃ「ノベンバー」が「ディッセンバー」になっちまいはしないかと余計な心配をしたが、だれるどころか、力のこもった内的に充実した演奏で終わった。
僕が感激するのは当然として、西洋の客がどう受けとるかと思っていたら、大成功なのでまず安心した。オーケストラの連中もステージの上でブラボーブラボーをやっていた。
ぼくは、くたびれきったためかもしれないが、だんだん頭の中がひとりぼっちになって考え始めた。
この音楽は、僕の血の中で、肉の中で、またこれまでに得た音楽教養の中で、いちばんしゃべりたかったことをしゃべっている。
おまけに、だれもが多かれ少なかれ持っている宗教心に通じるものがある、というようなことだ」
「聞きに来ていた作曲家のペンデレッキ(ポーランド)やコープランド(アメリカ)は真赤な顔をして感激、興奮していた。二日目に来たバーンスタインは「まあ、なんという強い音楽だ。人間の生命の音楽だ」と涙を流していた。
そして、彼はわざわざこの二人の独奏者を自宅に招いて、日本の古典を弾いてもらった。
尺八は「手向」と「薩慈」、びわは「本能寺」で、武満と僕も同席した。
恥ずかしい話、ぼくも生まれてはじめてこの三曲を聞いたわけだが、「本能寺」のびわの演奏が、
あるときは静かに、あるときはまるで劇の伴奏オーケストラみたいに、ほとんど擬音のような効果を出すのにおどろいたし、尺八の「手向」では、ほんとに泣いちまった。
また「薩慈」では、日本人の内面の激しさがあらためて身にしみた。
ぼくが日本人のせいだからじゃない。
同席したジェローム・ロビンス(演出・振付家)もバーンスタインも、彼の家族も、
目にいっぱい涙を浮かべて、えんそうが終わってからもシーンと沈み込んでいたのだ。
あとできいたのだが、その晩はぼくらが帰ってからもまだ興奮していて、この古くて、彼らには新しい音楽について、朝までしゃべりあっていたそうだ」(敬称略)

外国人が尺八の本曲に魅せられる理由(1)

外国の尺八愛好家は古典本曲を好む。
彼らは男女を問わず、古典本曲を吹くために自国で尺八を習い、また来日して本格的に
尺八と取り組んでいると聞きます。全ては古典本曲を吹くために。
何故なのでしょうか!
ノヴェンバー・ステップスを立ち上げた人たち
YouTubeリンク(November Steps 前半November Steps 後半

大きな興味と共に、尺八関連の本を数冊読み込んでみると……。

武満徹作曲のノヴェンバー・ステップスに始まります。
鶴田錦史(琵琶)と横山勝也(尺八)のソロ、小澤征爾指揮ニューヨーク・フィルハーモニックオーケストラにより初演された協奏曲が、1967年11月9日、ニューヨーク・リンカーン・センターにおいて開催され、日本の邦楽が世界にその存在価値を認められた!ことが始まりです。

経緯は、当時映画音楽を手がけていた武満徹が、NHK大河ドラマ『源義経』(1966年)の音楽を担当。それぞれ琵琶の鶴田錦史、尺八の横山勝也と共同作業で音楽制作をすします。この経験を元に現代音楽純音楽作品として、琵琶と尺八のための『エクリプス』を作曲。これは武満にとって邦楽器のみの初の純音楽作品となり、また琵琶と尺八という組み合わせは邦楽の歴史ではそれまで見られないものでした。
この『エクリプス』の録音を、武満と親しくニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者を務めたことのある小澤征爾が同フィル音楽監督のレナード・バーンスタインに聴かせたところ、バーンスタインが非常に気に入り、これら日本の楽器とオーケストラとの協奏曲を書いて欲しいと武満に依頼することになります。そしてニューヨーク・フィルハーモニック125周年記念委嘱作品としてこの『ノヴェンバー・ステップス』が作曲され、1967年11月9日、ニューヨーク・リンカーン・センターにおいて、鶴田錦史と横山勝也のソロ、小澤征爾指揮ニューヨーク・フィルハーモニックにより初演されました。
この協奏曲は、その後多くの指揮者と世界中のオーケストラに於いて、何百回という演奏に恵まれます。しかしソロパートはほとんど全て鶴田錦史と横山勝也によって演奏されました。

この作品に対して武満自身は「オーケストラに対して、日本の伝統楽器をいかにも自然にブレンドするというようなことが、作曲家のメチエ(表現技法)であってはならない。むしろ、琵琶と尺八がさししめす異質の音の領土を、オーケストラに対置することで際立たせるべきなのである」「洋楽の音は水平に歩行する。だが、尺八の音は垂直に樹のように起る」と述べている。(敬称略)

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空海の風景

随分昔に買った本、司馬遼太郎の「空海の風景(上・下)」を再度読みました。
今回の感想は初回と異なり、非常に面白い本だった!の一言です。

空海 上
     空海 下
それなりに年齢を重ね、仏教全般の知識も増えていた為か、この本は非常にわかりやすい
仏教入門書として読めました。
以下、自己の覚書と興味ある部分を要約し書き留めます。


奈良仏教に見られるような解脱だけをもって修行の目的とする教えにやりきれなさを感じた空海は、華厳経、大日経を読み下す。
「華厳経」においては、万物は相互にその自己の中に一切の他者を含み、摂りつくし、相互に無限に
関係しあい、円融無礙に旋回しあっていると説かれている。
しかもこのように宇宙のすべての存在とその動きは、毘盧遮那仏の悟りの表現であり内容であるとし、あと一歩進めれば純粋密教における大日如来の存在とそれによる宇宙把握になる。

「大日経」では、毘盧遮那仏は華厳のそれと本質は同じながら、更により一層宇宙に偏在しきってゆく雄渾な機能として登場し、人間に対し単に宇宙の塵であることから脱して、法によって即身成仏する可能性も開かれると説く。
同時に、人間が大日如来の応身としての諸仏、諸菩薩と交感する時、彼らのもつ力を借用しうるとまで力強く説いている。
空海はこの、即身成仏の可能性と諸仏、諸菩薩と交感してそこから利益(現世利益)をひきだすという法を求めて唐を目指す。
密教は半ば教理で構築されているが、他の半ばは膨大な方法の集積であるために、こればかりは
手をとって伝授されることが必要であった。
空海はこれがために入唐を決意した。
唐の玄宗皇帝は道教に深く肩入れし、不空三蔵の密教呪術を好んだという。
日本においても桓武天皇は最澄が持ち帰った天台という顕教より密教に興味が先行している。為政者というのは権力との関係で現世利益を深く求めたのであろうか。

密教には2つの思想(智〈精神の原理〉を説く「金鋼頂経系」、理〈物理の原理〉を説く「大日経系(胎蔵界)」)があり、インドにおいて別々に発生し、発展した。
その二つを一人格に収めた人物はインドにもおらず、インドから唐に渡るについても、それぞれの
系統が恣意的に長安に来て、不空三蔵といえども金鋼頂経系を知るのみであった。
恵果は大日経系のインドの僧善無異の弟子玄超から大日経系を承けていたから、両系の相伝者として密教世界ではただ一人の人であった。
司馬遼太郎は、金鋼頂経系、大日経系(胎蔵界)については詳しく論説していない。

「恵果」は両系(両部)は一つのものと認識していたが、語学の才に欠け、精緻な文章で論理を構成する能力に限界があり、渡来した空海にその仕事を任せる。
これにより、インドにおいて別々に発生した密教思想は中国僧恵果によって「両部不二」の着想をもち、空海により日本において論理化、体系化された。
奇跡的に時間と空間を結ぶ点の世界が展開し、空海はその僅かな点の世界で人類史に大きな財産を残した。これを宇宙の意志というのでしょうか。

空海が一概に「顕教」として卑く見ているこの膨大な体系は、行の面でいえば現象に接してその本質を見ぬく--止観--によって自らを透明にしてゆくという法であった。
最澄は入唐以前からこの天台宗こそ釈迦没後の仏教教学の飛躍発展した最上のものと信じ、それを最澄なりに整備することに自分の全てを賭けていた。
最澄は天台宗の確立という大事業を志し、唐からもたらした天台の体系の中に、新たに禅の部門、律の部門を入れ、同列に密教の部門を入れようとして、インドにも唐にもない大乗仏教の道場を叡山に確立しようとしていた。

そんな最澄が空海から密教の教えを乞い、借経を重ね、書物によって密教を知ろうとした。
そして、真言密教の奥義「理趣釈経」の借用を申し出たが、空海は「文章修行ではなく実践修行によって得られる」との見解を示して拒絶、また最澄が空海に預けた弟子秦範が空海の下に残った(秦範の事件)といこともあり、以後2人の交流は途絶えた。
最澄という人は純粋で温厚だったというが、目的によっては非常にあつかましい人であったのでしょうか。また空海がある程度寛容であったとか。

秦範の事件以降、最澄は閉鎖的になり、自分の教団の壁を高くし、弟子の他宗に流れる事をとどめる諸規則、諸制度を作り、その意味で叡山そのものを城郭化した。
最澄や空海が学んだ中国の仏教も奈良仏教も、諸宗が存在するとはいえ宗とはあくまで体系であり、互いに宗門の壁を設けることが殆ど無く、僧たちは自由に他宗と往来している。
それに対し、日本の宗派が他宗派に対してそれぞれの門戸を鎖し、僧の流出を防ぐという制度を摂るに至るのはこの事件以降である。
最澄は唐から持ち帰った天台宗や越州の密教を、多くは整理しきれず、唐から請来した諸思想を完璧な一個の体型にすることなく、その間奈良仏教との抗争などで忙殺され、未整理であることを憂いつつ死んでしまった。
その為、天台密教は最澄が死んでから成立し、また、鎌倉の新興仏教の祖師たちが、最澄の持ち帰ったものを部分的に独立させ、部分においては深めた。
最澄が未整理であった故に円珍等の弟子が天台の体系を作り上げ、また比叡山で修行をした人々により、鎌倉時代の仏教は非常に面白くなってくる。これも最澄の成果でしょう。

晩年、空海は東大寺真言院において「法華教」を講じ、「法華経釈」という解釈論まで書き下ろしている。察するに「いまで顕教とか法華経などくだらないといい続けてきたが、少し修正しなければならないかもしれない、顕教もまた重要であり、法華経は悪くないものだ」という気分が、このこの著述に溜息のように漏れてくるくるように思われる。
また、弟子たちに対し、「顕教を外教として学べ」とまでいっている。
空海の心境の変化が何を意図しているのか......非常に興味深い。

檜のプランター

プランターを作りました
上の赤い文字をクリックして下さい! 今回は小窓ウインドウでの表示を試みました。

少し前の先日、妻と一緒にJR長岡駅広場の「花子百貨店」に初めて行きました。
噂には聞いていたのですが沢山の人だかり、特に女性、それも若い人がいっぱい。
「花子百貨店」とは一日限りの雑貨屋さん。
出店はプロ・アマを問わず、うつくしいもの・かわいいもの・ふるいもの・
あたらしいもの・和もの・洋もの・手作りもの・アンティークもの・おもしろいもの
みんなMIXされたおもちゃ箱です。(花子さんが出店者を厳選し、テイストが統一されているとか)
とにかく素敵なサプライズがいっぱいの「花子百貨店」、女性好み。
花子さんの感性に共感し、各方面、各地から大勢の人々が出かけくる大イベント。
噂では年3回開かれて、一回の売上は800万円位とか、凄いもんです。

雑貨市を歩くと木製のプランター類が沢山出店されており、
色は全体がツヤ消しの白色、茶で少し汚して、それなりの雰囲気をだしています。
どれも高価! 3000~5000円位のタグが付いています。

目に止まったのは、長い足をつけたプランター箱、市販のプランターを木箱に入れるタイプです。
妻が「あんなのを作って欲しい!」といい、随分日が経ちましたが今回完成しました。
檜の端材で組立て、長い足を付けました。
塗装は白い塗料がなく、ありあわせのベランダ塗料の残りを塗りました。
どうです! ちょっとしたもんでしょ。

尺八 初舞台

6月に京都で開かれる尺八演奏会に初心者の私が初舞台を踏みます。
勿論、個人参加でなく、私の師匠やお弟子さんが演奏される、
合同演奏の一員としての参加です。(笛パクです)

本曲  :  陀羅尼(抜粋)

今回の演奏会は、すべての尺八流派の源流である「尺八本曲」を中心に、国境を越え、
流派を越えて、日本の伝統文化の真髄を求めるべく、世界各国の人々が京都に集まります。
日本のみならず、欧米やアジア等、海外から多くの尺八吹きが「ホンキョク」を求めて交流し、
著名な先生方の演奏を聞き、また自らも演奏するという、つまりオタクの集まりです。

動画は最も尺八を連想しやすい虚無僧を登場させました。
写真の虚無僧は、ほぼ全て普通の人、単なる笛吹きだと思います。
みんな憧れるのでしょうか! 結構、この姿が好きな人が居られます。

つや消しになりますが、虚無僧寺に住む虚無僧の実情は、乞食浪人や愚連隊の様な
素行の悪い連中が多く、世間からは嫌われていたとか。
罪を犯した武士が普化宗の僧となれば、刑をまぬがれ保護されたことから、
江戸時代中期以降には、遊蕩無頼の徒が虚無僧姿になって横行するようになり、
幕府は虚無僧を規制するようになリました。
また、尺八の上手な虚無僧は数人しかいなかったと聞いています。
素晴らしい尺八の世界を創りだしたのは虚無僧ではなく、その他の人々でした。

明治になって、政府は普化宗(虚無僧寺)を廃止し、虚無僧は僧侶の資格を失い、
次第にその姿を消していきました。

お花見ハイキングの下見

10日にNPO行事、京都トレイルコース、北白河~比叡山~八瀬を17名で歩き、
また、13日もNPO行事、4月8日のお花見ハイキングの下見に12名が参加しました。
春の訪れで気候が暖かくなり、運動不足解消のため、参加者が多くなっています。

ありがたい 鐘の音をゆっくり聞いて下さい!

13日は小倉神社―天王山付近展望台―浄土谷乗願寺―柳谷観音―西山古道―立石橋
-長岡天満宮のコース。
小倉神社では保育園児(4・5歳児)が待機、彼らも遠足。
園児達は可愛い声と元気を振りまいて天王山へ先発、
我々も朝一思わぬ元気を貰って準備万端。
息を切らしながら、天王山への急な登りを駆け上がり展望台へ着くと、そこには先客の園児達が。
小さな子供達は疲れも知らず元気にはしゃいでいます。平均年令が思い切り下がりました。

浄土谷乗願寺に着くと本堂ヘ誘われ、ご住職のお話を頂きました。
何回も訪れていますが初めてです。50分。
足が痛くて、寒くて、少し辛かったのですが、お話は非常に面白く、実に…・聞かされました。
落語家の様な喋り口と間合いで、いつ、熊さん、はっさん、ご隠居がの出番があってもいいような淡々とした語りで、この寺の大仏(おおぼとけ)のイキサツを延々と披露していきます。
話がうまい。
夏に座布団を敷いて聞かせて頂くと、本当に有り難い話だろうなと震えながら聞いていました。
今日一の良い時間がもてました。

今野敏「転迷(隠蔽捜査4)」

お父さん!早く読まないとこの本を待っている人が沢山いるのよ!の一言で、
今野敏の「転迷(隠蔽捜査4)」を昨夜布団の中で読み終えました。
この本も妻が予約したもので我が家は共に今野敏ファンなのです。

転迷

先回、今野敏の「化合」が頂けない作品であるとの感想を書きましたが、
その後の「任侠病院」もイマイチ、最近の作品は以前の様な人物描写、
キャラの掘り下げ、意識の変化、内面の声がサイレントになりました。
一体、今野敏は何処へ逝ってしまったのでしょうか!!!

ところが、なんと、「転迷(隠蔽捜査4)」で彼は少しだけ息を吹き返しています。
人物描写に手抜きはあっても「隠蔽捜査」「果断(隠蔽捜査2)」「疑心(隠蔽捜査3)」
「初陣(隠蔽捜査3.5)」と続くシリーズで主人公、竜崎という人物を余りにも
興味深げに描き上げた為、周辺人物(例えば伊丹)との淡々とした会話は聞いていて小気味良く、
ストレートで的を得て、今回も充分楽しませて頂きました。
が、もう少しキャラを丁寧に綴って欲しいと思います。

作家というものは自分が書きたいという衝動と突き上げから離れ、
単なる義務感での創作活動に入リ込むと、
読み手が期待するサプライズや感動から少しづつ距離が開いていくのでしょうか。

お勧め FC2動画

このブログはFC2を利用しており、
ここにCMが入らない「FC2動画」というサービスがあります。
洋画や邦画がUPされており登録すれば無料で見られます。 お勧めです。

今回は大きさを変えて画像枚数を増やしました 画像24枚

今日は偶然、以前にも書いた、スエーデン版の映画「ドラゴンタトゥーの女」を見つけました。152分。
映画もそれなりに面白く仕上がっていますが、やはり小説のほうが段然面白い、
比較すれば今一歩というところです。
整理しながら読んでいかなければ解りにくい筋書きを、端的にまとめた器用さが
登場人物たちの描写をサラっと凝縮して、物語全体の雰囲気や厚みを失っています。
小説の中に漂う興味深げで謎めいた、異様な気配が抜け落ちて……、
でも、ハリウッドのリメイク版より評判は良いようです。

FC2動画には、ニ部「火と戯れる女」、三部「眠れる女と狂卓の騎士」もUPされています。
さあ! 頑張って続きを観なくては!
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もうすぐ春

暦はもう3月。
今日は午前に妻と愛犬と3人で近くの土手を1時間程の散歩をしました。
愛犬はいつものコースと違うので最初は戸惑っていましたが、
河川敷の芝生で鎖を外してやると大喜び、思い切り駆け巡り、駆け周り、飛び跳ねては疾走、
ランラン気分丸出しで、自分が犬に戻ったように笑顔満面でした。
(彼女は家では自分を人間だと思っています!)

これから自転車道は騒がしくなります

土手を仰ぐと、青空の中スポーツ自転車が沢山走っていくのが目に入り、
彼らの服装の彩りが春の訪れを告げています。
この川の土手は自転車道ですが、
今年の厳しい寒さに1月、2月は殆ど自転車など見られなかったのが、
皆さん亀のように、手足を伸ばしペダルを漕ぎ始めたようです。

実は私も初心者ですが自転車乗りなのです。地味で非力ですが......。
寒さのため断念していた自転車をそろそろ走らそうと思っています。
もうすぐ春です。

Appendix

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kinoko

Author:kinoko
60歳を越えてFlash動画に興味を持ち、好きな読書や映画の感想と
自作動画をコラボしてみました。
(画像サイズ500KBまでの制約はきついです........)

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